私の性格(自己評価)

昭和24年6月生まれの少ない残余の命、自分を何かの型枠に嵌めず、一切の精神的束縛がない至高の開放感で生き、逝きたい。

✅1 私の性格;彩色性多重人格、新型風見鶏、ごちゃ混ぜシャッフル狂、喜怒哀楽乱高下型変態人
 ・私の心軸は「何でもシンクレティズム(syncretism)/何でもシンクレ」
 ・私の人生の有り様「ボーダレス・フリーウェイ(Borderless Freeway)!」
 ・徹底的に3F/「freedom  Freedom  FREEDOM(自由・無碍)、flexibility(柔軟・弾力) fantasy(夢・希望)」
✅2 而今現成にこんげんじょう[今が自分(私)の全てである]、過去に社長になったとか、昔、議員になったとか、あの時、賞を授与したとか、そんなことは朝露の如くだ、この今、その経歴・経験を活かし、何を社会還元(無償奉仕)しているのか❓ 「今この時の全力投球が命の原動力・推進力とならん」
✅3 私の人生の組み立て方(下表のとおり。)
生きているこの時空は、
私的であれ、公的であれ、人が集まれば、あるいは個人の心であれ、
今のそのままを受け入れ合う対等互啓(恵)を優是とした学び合う場にしたい
時間と空間に色別・境界はないのだ
(時空はみんなに平等)
老壮青の組み合わせ ▷⇨⇊⇦◁百人百様のごちゃ混ぜ
過去の成功体験などは糞くらえ、今何をしているかだ!
最も醜い姿勢は「醜態(さん)()(げん)」-①「出来ない」、②「無理だ」、③「やったことない」-を吐くこと
温故知新 不易流行
更新 脱皮 カスタマイズ
不断の「scrap and build」
私は松竹梅(真善美)が匂う人だけを求める!
「寛大 (菅大) ()()言」-Ⓐ私の仕事じゃないと言わない(それも私の仕事だ)、Ⓑ利他、Ⓒ先回り-は、私を鼓舞する人生指針
探究心 好奇心 冒険心が自励する
【世間の信念と、私の『正念』】
世の中でいう信念とは、自らがわが身の自由を緊縛した拘り・執着・固執の究極状態をいう。
私の「正念」とは、『心の御柱』樹立をいい、「TPO即応の最適解」を見出す心・言・行、つまり、時処位柔軟即応最適解を求める実践的な「心(認識や精神)・言(言葉や言語)・行(行動や活動)」を言う。
心の中に新しい「もの・こと」が生まれる

人生、楽しさが自噴する
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人生、自身に成長、仲間に共創が渦巻く社会であって欲しい
✅4 忌避する人物
・「マンキタゲ佞奸ねいかん根性」の性格⇒還暦を過ぎていい歳になっても、ねたみ・ひがみ・しょねみ・ヤキモチがこびり付いた根性曲りのいかさま性格
・「似非仕切り屋」の性格⇒『この場では政治・経済・宗教や町内会の話すんな、ここでは難しい話すんな』などと裁判官気取りの杓子定規を振り回して、共有の場を裁断する「ねいじん」性格
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そのような性格の人は、素直に他人の良い処を受け入れることが出来ない、自分より上手が表れることを不安視することからの障害壁予防線を張る心理なのだ。だから、壁・枠・境界線だらけの場となり、席を同じくした場合、話題の発展性が見込めないから面白くない、楽しくない、憂鬱・不快になる。
✅5 私の政治信条は完全無党派、宗教心は完全無宗教である。
✅6 好きな古人の和歌(三首限定)
・吉田松陰「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」
・本居宣長「敷島の大和心を人とはば 朝日に匂ふ山桜花」
・貞明皇后(大正天皇の皇后)「キリストも釈迦も孔子も敬ひて おろがむ神の道ぞたふとき尊き
敬慕・私淑(ししゅく)する安岡正篤(まさひろ)先生からの学びと共に
精神面私の視線行動面
サミエル・ウルマンの[青春]吉田松陰
王陽明の[知行(ちこう)合一(ごういつ)六十六部ろくじゅうろくぶ
「孟子」の[天の(まさ)に・・・]童財善子どうざいぜんじ
左右陰陽両軸複眼(心身一如)の妙