私の性格(自己診断)

昭和24年6月生まれの少ない残余の命、尻に蒙古斑が再生したことからは今の精神年齢は5歳児だ。 よって、自分を何かの型枠に嵌めず、一切の精神的・思想的束縛がない至高の開放感で生き、逝きたい。
✅1私の性格;彩色性多重人格、新型風見鶏、ごちゃ混ぜシャッフル狂、喜怒哀楽乱高下型変態人
 ・私の心軸は「何でもシンクレティズム(syncretism)/何でもシンクレ」
 ・私の人生の有り様「ボーダレス・フリーウェイ(Borderless Freeway)!」
 ・徹底的に3F/「freedom  Freedom  FREEDOM(自由・無碍)、flexibility(柔軟・弾力) fantasy(夢・希望)」
✅2私の生き方モットー
 ・私達一人ひとりは世界第一等の配役(主人公)である。そこに何の優劣はあろうか、あるはずはない! それぞれは特技を持っている、その得手に何の強弱があろうか、あるはずはない! 人間性の優劣や強弱を判定できる人間はこの世に存在しないのだ。
 ・私達を包むこの時空はみんなに平等だ、私的であれ、公的であれ、人が集まれば、今のそのままを受け入れ合う対等互啓(恵)を最優是とする共学・共創の場でありたい。
 ・而今現成にこんげんじょう-今が自分(私)の全てである。私(貴方)はどんな振る舞いをすれども、他人が見た姿が全てである。
 ・過去の成功体験などは糞くらえ、今、何をしているかだ! 過去に社長になったとか、昔、議員になったとか、あの時、賞を授与したとか、そんなことは朝露の如くだ。 還暦を過ぎた者の人間的価値は、この今、その経歴・経験を活かし、無償奉仕精神を以って何を社会還元しているかだ。
 ・最も醜い姿勢は、軽々に開口一番「醜態三否言しゅうたいさんぴげん」-①「出来ない」、②「無理だ」、③「やったことない」-を吐くことだ
・私は松竹梅(真善美)が匂う人だけを求める! それを養生するキーワードは「寛大三美言菅大さんびげん」-Ⓐ私の仕事じゃないと言わない(それも私の仕事だ)、Ⓑ利他、Ⓒ先回り-である。
✅3忌避する人物
・「マンキタゲ佞奸ねいかん根性」の性格⇒還暦を過ぎていい歳になっても、ねたみ・ひがみ・しょねみ・やっかみ・ヤキモチがこびり付いた根性曲りのいかさま性格
・「似非仕切り屋」の性格⇒『この場では政治・経済・宗教や町内会の話すんな、ここでは難しい話すんな』などと裁判官気取りの杓子定規を振り回して、共有の場を裁断する「ねいじん」性格
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 そのような性格の人は、素直に他人の良い処を受け入れることが出来ない、自分より上手が表れることを不安視することからの障害壁予防線を張る心理なのだ。席を同じくした場合、可もなく不可もなく、話題の発展性が見込めないから面白くない、楽しくない、憂鬱・不快になる。
✅4若い人達に対するエールは次のとおり。
 ・他人様はどうであれ、如何様であれ、自分自身に湧き出る好奇心・探求心・冒険心に素直に従順になれば良いだけだ。好奇心は最初の心の疼(うず)き、探究心は真相に迫りたくなる向上心、冒険心は実現したくなる精神だが、これは持って生まれた時にご先祖からプレゼントされた如何ともし難い性(さが)である。
 ・何かにつけての金銭的欲望は「身の丈」の範囲内と決意・決心すること。後は「身の丈」の範囲拡充に向けて努力すれば良いだけである。
✅5私の政治信条は完全無党派、宗教心は完全無宗教である。似非政治家や似非宗教家の囲い込みが臭うと「面従腹背と馬耳東風」の社交辞令で漸遠ぜんえんする。
✅6好きな古人の和歌(三首限定)
 ・吉田松陰「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」
 ・本居宣長「敷島の大和心を人とはば 朝日に匂ふ山桜花」
 ・貞明皇后(大正天皇の皇后)「キリストも釈迦も孔子も敬ひて おろがむ神の道ぞたふとき尊き
敬慕・私淑(ししゅく)する安岡正篤(まさひろ)先生からの学びと共に
精神面私の視線行動面
サミエル・ウルマンの[青春]吉田松陰
王陽明の[知行(ちこう)合一(ごういつ)六十六部ろくじゅうろくぶ
「孟子」の[天の(まさ)に・・・]童財善子どうざいぜんじ
左右陰陽両軸複眼(心身一如)の妙